私たちは幸運なことに、2/24の「独立記念日」をエストニアで過ごすことができた。数日前から記念日を意識したと思われる国旗が街中に掲げられ、滞在したホテルの窓から見えるタルトゥ大学も国旗の数を増やして祝っているようだった。
記念日当日の朝、私たちは丘の上の野外広場で記念式典と学生団体のパレードを見学した。言語は全く分からなかったものの、エストニア滞在期間、目に、耳にしない日がなかったウクライナについて言及し、国の大切な記念日に他国への連帯を示す姿は私にとってとても新鮮だった。国歌の他に、エストニア人の多くが口ずさめる歌が数曲あり、聖歌に似た響きを持つ素敵なハーモニーが心に残ったというメンバーもいた。
パレード終了後は、メンバー各々の興味によって別行動となった。今回は、2通りの過ごし方に言及しつつそれぞれの視点から見たエストニアの独立記念日についてまとめていきたい。
タルトゥでの式典の様子(歌:"Teretus" - Lydia Koidula)
外国人の立場から見る独立記念日
街の広場に移動すると、本物の銃と戦車がずらりと並び、笑顔で子どもたちと交流する兵士の姿もあった。独立から105周年という節目の年であることと同時に、侵攻から1年という節目を迎えたウクライナとロシアの戦況を意識した祭典になっていたことは否めないだろう。実際、過去エストニアで記念日を過ごしている教授は、これほどまで軍事色が強いのは初めてだと驚いていた。現地では気が付かなかったが、広場で受け取ったフラッグは表をエストニア国旗が、裏をエストニア防衛同盟を表すマークがそれぞれ描かれていた。
しかし、軍事色が強い一方でも、音楽隊による演奏やお土産屋さんで配られていたカレフ(Kalev)のチョコ、子どもたちが雪の上を滑りながら遊ぶ姿からは、例年通りお祝いするエストニアの様子も垣間見られた。
その後、全員でエストニア国立博物館に再集合し、各々展示を見学した。周辺国、特にバルト三国やソビエト連邦、EU諸国との複雑かつ密接な繋がりを感じずにはいられない展示がずらりと並び、中には直視することすらはばかられるような展示もあった。「日本より安全かも」、私がエストニアにいる間、事あるごとに口にしていたこの言葉も、先人たちの傷を修復する形で、またエストニアの更なる発展のために奮闘した人々の努力によって礎が作られたことに想いをはせる時間となった。
博物館のワンフロアを使って、記念コンサートが開かれた。エストニアとウクライナ。それぞれ空や水と言った意味を持つことで共通している国旗の青色を重ねたような画像が演奏のバックとして投影され、深読みかもしれないが、ソ連/ロシアからの攻撃に負けず共に立ち上がる仲間であること、一刻も早く平和が訪れると願っていることを、空は1つに繋がっていることで示そうとしているのではないかと感じた。言語は少しも分からない、しかし音楽で会場の雰囲気が変わったことを多くのメンバーが察していた。ウクライナの惨状を悼むものだと思われる歌が始まる前、突然背筋を伸ばさなければならないと直観的に感じたときの感覚と、一緒に立つ友人も同じように姿勢を正す様子は今も鮮明に覚えている。実際演奏が始まると、投影される写真も相まって多くのメンバーと涙し、芸術が言語の壁を超え心に直接訴えてくることを体験した。
一日の最後には、ホテルの待合室で毎晩リフレクションの時間を取っていたが、最も密度の高かった日を尋ねたらおそらくメンバー全員が「この日だ」というのではないかというほど、皆がエストニアに初めて訪れた日本人として、そして現地の人々と特別な時間を共有した1人の人間として様々な視点から学びを深化させた夜となった。文化的・信仰的に日本と似ている点を多く持つエストニアの印象も強い一方で、歴史的・教育的背景には大きな違いがあり、「日本で言うところの何?」という問いに必ずしも正確な答えが出てこないことも興味深かった。
こうして報告書を書いている間も、写真に残せなかった些細な思い出や感情の変化が少しずつ抜け落ちていっていることが残念で仕方がない。しかし、2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻がどれほど周辺諸国に暗い影を落としているのか、他国の支配から勝ち取った独立という権利がエストニアにとってどれほどの意味を持つのかということだけは、歴史の事実と時を同じくしている私たちは決して忘れずに心にとどめ周囲の人と共有していきたい。
あるエストニア人一家の過ごし方に触れて
私は、セレモニーの後知人の家族と過ごした時間について共有したい。まず、独立記念日の印象としては言語が分からなかったため、訳してもらいながら参加した。知人は今年はウクライナとロシアの情勢もあり、ウクライナをサポートする言及が多かったと言っていた。また、セレモニーでは多くの合唱や演奏が行われており、夏の歌の祭典が有名なエストニアの文化が非常に濃く感じられた。特に合唱では様々な歌が演奏されていたのにも関わらず、周りにいたほとんどの人が全ての曲を知っており、歌っていたのが印象的であった。セレモニーには軍人はもちろんのこと男女に分かれた学生団体や街の団体がそれぞれの旗を掲げて集まっており、その姿からは非常に団結力が感じられた。独立記念日のセレモニーの参加は歴史的背景を踏まえた現在の他国との関係、独立や自国に対する思いなど普段大きく見えてこない面を知ることのできる重要な経験となった。
知人の家族と過ごした時間も非常に濃い時間となった。知人の家族のお母さんがウクライナ基金の支援団体を創設していたため、そこで行われていた立食イベントに参加した。自由に人が行き来できる状態になっており、テーブルにはウクライナとエストニアの様々な種類の伝統的な食事が置かれていた。地元の人々は親戚などと集まり食べながら会話を楽しむ時間を過ごしている様だった。やはり、祝日ということもあり家族で過ごしている人々が多く、日本の家族の価値観とは違ったものを感じた。後から聞いたことだが、休日には家族で自然の中で過ごすことが良いとされているそうで、家族をより重んじる文化であるのではないかと考えた。このイベントでは特にウクライナとエストニアの関係や状態について深く言及されてはおらず、友人や親戚など様々な人が集まって交流しており、独立記念日を祝福するアットホームな雰囲気であった。その後は家庭で作るエストニアのデザートを食べたり、街にスケートをしにいったりと有意義な時間を過ごせた。エストニア人にとっての独立記念日は非常に大切で、お祭りの様な独立に対する喜びの意味も持ちつつ、今後の方針としてウクライナとの関係も深めていきたいと言った意思を表明する場でもあるといった印象を受けた。
日本において、エストニアのように建国記念日などを祝う習慣はほとんどなく、普通の祝日として過ぎ去ってしまうことがほとんどであるため非常に自分にとって新しい感覚であった。人々の思いが一体となって歌や式典に形となって現れていることに少し恐怖を感じつつも、エストニアの力強さが現れていたようにも感じる。日本に居たら気が付かないが、他国から見たらこのように感じる瞬間はあるのか疑問に思うきっかけにもなり、簡単な言葉になってしまうが非常に貴重な体験となった。