私たちは、タリン市内にある9年制の基礎学校を訪問した。ここは義務教育課程である1年生から9年生(7歳~15歳)が学ぶ学校である。はじめに職員室に案内され、学校で活用しているシステム等について説明を聞いた後、3年生の算数の授業と9年生の生物の授業を見学した。
デジタル化された学校内および教育に使用するツール
学校のシステムは全てデジタル化されており、生徒と教員、保護者に対して1日の教育内容や成績などの情報が可視化、共有されている。「Opiq」というネットワークの利用でロシア語とエストニア語の教科書のデジタル化はもちろん、教員が授業に使用するアニメーション等の素材も入手することができる。これに加え、エストニアのほとんどの学校で使用されている有料ツールの「e-diary」の活用がある。教科ごとに教員による記録やフィードバック、生徒自身による自己評価、宿題など1日1日の学びを記録できるようになっているという。こうしたネットワークの利用は教育現場において教員の負担を減らし、生徒がいつどんな学びを得たかを振り返りやすいような環境を作っているといえる。インターネット上のシステムの整備は先生の視点から考えた時にカリキュラムのシステムが整備されており、パソコンにすべての教材がダウンロードされているのでいつでもチェックすることができる点に感心した。「Opiq」は有料コンテンツであり、使用料は学校と生徒(1か月につき5ユーロ)が払うという体制であるが、実際に教員からはとても良い素材が多く、授業準備に大変役立っているという声があった。また、生徒の視点でも教材を見ることが出来るのは何冊も持ち運ぶ必要がないので利点が大きい。成績表や授業の管理について先生・生徒・保護者も管理ができるようになっていることで状況把握がしやすく、より質の高い教育に繋がるのではないだろうか。
エストニアには教育情報システム(EHIS)があり学校からの情報が一元管理され毎年更新されている。「e-diary」のプラットフォームがEHISと連携しており、「e-diary」の記録は正式な教育の記録として提出される。このような生徒情報の管理があることで、生徒の転校があったとしても情報は以前の学校から転校先の学校へと共有されるようだ。様々なネットワークを利用してデジタル化された学校のシステムは生徒ひとりひとりの情報がどこでも誰でも一目で分かるように可視化、共有することを可能にし教育現場での効率を高めていると感じた。デジタル化によって子どもが学校でどんなことを学んでいるのか等教育内容の透明性も担保され、保護者の学校に対する信頼にもつながっていると思う。しかし、この学校内のシステムのデジタル化が実際のところ教員による生徒への理解や生徒自身の学び、教員と保護者の連携にどれだけ貢献しているのかは分からなかった。
3年生と9年生の授業見学から
3年生の算数の授業では1人1台配布されるiPadでカフートと呼ばれるクイズベースのゲームが楽しめるアプリを使って、クラス全体の目標と個人の順位がつけられる仕組みの中でスムーズに授業が行われていた。ICTが教える道具としても学びの道具としても機能している状況が体現された3年生の教室が私たち自身が経験してきた授業の様子とはあまりにも異なっていたために興奮を隠さずにはいられなかった。小学校の算数の授業を見学して、感じたのは子どもたちの積極性だ。手を挙げている生徒が多く、楽しそうに授業を受けているのが印象的だった。クイズ大会方式で九九に取り組む様子は、インターネットを活用したからこそ得られるクラスでの達成感があったと思う。クイズ終了後はただそれぞれの生徒をクラスのなかで順位付けするのではなく、成長した順など順位のつけ方が一つだけではないことに気づかされた。順位が低い生徒は自己肯定感を持ちにくいが、様々な順番をつけることでそれぞれが思う自身の価値を見出せると感じた。また日本人にとって九九は暗記するモノというイメージがあるが、授業では九九の計算の考え方を説明していた。なぜその答えになるのかという過程そして自身で考えることの大切さを強調していたようにも感じた。
授業中の教育内容はICTの利用のみならず紙に書いたり、体を使ったりと多様で子どもが飽きることのない時間であると実感した。また、紙の教科書を使用したり、紙で宿題に取り組んでいたり、9年生の生物の授業でも実験結果からの考察は紙に記入するなど紙の使用も併用されていたため、紙で学習することへの需要についても興味を持った。
しかし、授業内容の理解度には明らかに個人差があり、授業を開始する以前のセットアップに時間がかかったことからもICTの利用が授業内の時間で生徒の学習内容の理解度に貢献しているかどうかは分からなかった。ICTを利用していることで方法が画一化されているために教員の質、授業の質が保たれているように見えたが、そのためか一人ひとりの教員らしさが出る授業にはならないようにも感じた。私の小学校での学びを振り返るとICTの利用はなく、クラスによって教え方も様々で教員の質にばらつきはあったのかもしれない。だが、説明の仕方や表現の仕方にその教員らしさがでることでより印象深く記憶に残り内容の理解に大きくつながったということもあったと思う。
また授業中にはウクライナからの生徒2人が授業から取り残されてしまう場面もみられた。彼女たちはエストニア語があまり分からないために授業から切り離されてしまっている印象を受けた。この現状は今後のエストニアの教育に何らかの形で影響を及ぼすのではないかと考える。彼らは教室の最後尾の列に座っており、一見教員の目が行き届きにくいように思える。ただ別の視点で捉えると、同じ学びのツールが皆に与えられている状況ゆえ教室のどこにいようとも誰もが包摂されているという教員の認識の現れのようにもとれた。だが、実際に彼らは授業内容を全て理解しているわけではなかった。9年生の実験の様子をみても機材は自分たちで操るスタイルで先生が進捗状況の全てを把握しているわけではない。教育が全員に対して最適な方法で準備されているとはいえず、ツールをうまく活用して勉強に生かせるかどうかは最終的には勉強に対する個人の意欲に任されている印象を受けた。
明るい教室
また、日本に比べて教室や体育館の中に多くの自然が沢山あることに気が付いた。体育館には大きめの植木が置いてあり、教室のロッカーの棚の上に植物が飾られていた。また、教室の壁にはいじめについてのポスターや生徒たちの作品などがあり教室全体で明るい印象を受けた。この様なことから非常に開放的な空間で学習していることに気が付いた。緑があることとスタイリッシュな雰囲気は子供の創造力や積極性を高める効果があると感じた。