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執筆者の写真Hideki Maruyama

見える変化と見えない変化

3年ぶりに学生たちとエストニアに訪れた。パンデミックで移動制限が生じる前には毎年1回または2回エストニアを訪れていたために、実に久しぶりの訪問であった。パンデミックを乗り越えた人たちは変わった面も見せたが、変わらない面も多く残っていた。また、105周年を迎えた独立記念日を含める2月の訪問は、独立100周年のとき以来であったため、5年前との違いも見ることができた。だが、サステイナビリティという点では、まだ潜在性が認められた。


パンデミック前後における学生の資質は大きく変わったといえる。コロナ禍で大学が閉鎖された時期にどのように過ごしたかが、その資質に影響したわけであるが、このツアーに限らず学生たちの学習動機とレディネスにはプラスになったように思われる。むろんコロナ禍によって失われた時間と機会は大きかったものの、制限が課された状況下で創造性はより高まることを再認識させた。冬のエストニアに迎えられた学生たちは、その美しい風景だけでなく、現地で交わす意見から、それぞれの印象を解釈へと深めていったに違いない。環境教育と芸術教育を担う現地の人たちはパンデミックで活動を制限されながらも、さらなる工夫を通して活動を継続していた。


他方、エストニア社会の変化はパンデミックよりもロシアによるウクライナ侵攻によるところが大きかった。5年前の独立記念日と比して、ナショナリズムより軍事色の強い企画が多かった。エストニアの研究者とも意見交換して改めて分かったのは、忘れてしまいたい感染症より長年の脅威として捉えられていた隣国ロシアの方が安全保障の現実課題なのだった。今の日本で日の丸を掲げたり、持ち歩くことには特定の意思表示と「誤解」されるであろうが、あらゆる場所で見かけることができたエストニアとウクライナの国旗には「想像の共同体」以上の現実味が伴っていた。国民教育という点からも、ロシア系の背景を持つ約3割の人口を抱えるエストニアでは、教授言語の厳格化など教育改革をより進める時期にある(なお、パンデミックによるリモート教育はICT導入済みの同国では大きな課題ではなかった)。


しかし、パンデミックによってエストニア人の生活様式をより良いものへと変えることができたはずだった。エストニアでサステイナビリティを研究する大学人はそう述べた。エストニアのパンデミック最中、私は現地滞在できなかったため、実情はかの人たちの語りでしか捉えることができない。だが、初めて新型コロナウイルスの感染が確認された時にエストニアに居合わせ、徐々にパニックの様相が見られたことをよく覚えている。私は2020年3月11日に入国し、翌日タルトゥへ移動したものの、ラトビア・リガから移動した人がタルトゥで初の感染者が出たニュースが駆け巡った。その日のうちに、タルトゥの友人たちが「幹線道路が閉鎖される可能性があるのでタリンに移動した方がいい」と助言してくれ、タルトゥには1日だけ滞在、しかも徒歩10分であるにもかかわらず私がアジア方面からの入国者だということからタルトゥ環境教育センターとはオンラインで打ち合わせるという事態になった。その経験をふりかえると、対面できる空間の重要性と共通課題を前提とした共有時間の意味を今後より意識することになるだろう。


私自身は、東日本大震災で現実課題としてのサステイナビリティを強く意識するようになり、2020年1月から日本でも緊張を強いられたコロナ禍は、それをさらに強くさせた。ウクライナ侵攻に伴う副作用は日本ではまだわずかといえるが、上智大学でウクライナ留学生を特別に受け入れる選考委員を務め、また今回ツアーの参加学生たちの変容から、グローバル化の影響が質的に変わる様子も感じた。2008年に出会って以来お付き合いいただいているエストニアを含めたバルト海の友人たちと共に自身の変容も感じさせるツアーでもあった。


写真:滞在したネイチャースクールで見た樹木

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