エストニアでの様々な出会いと経験は、私なりの自由な学びを体感した貴重な時間であったと思う。学校に限らず博物館やレジャー施設、大自然に囲まれたNature Schoolなど現地で訪れたどんな場所も大人にも子どもにも自由な学びの空間として開かれているという印象を受けた。そのような場面を目撃し私自身もその場で自分の目で見て、手を動かしているうちに自然と様々な感覚が研ぎ澄まされていき気がつけば自分だけの学びを得ていたという初めての体験をしたのである。
経験や学びの仕方に正解はない
このツアーに参加するにあたって、私はエストニアにある何か特別なものやエストニアでしか見ることができない場面を見ようとしていた。生涯教育やICTによる教育を個人的なテーマとして設定していたため、現地ではそれらに関する驚くべき現地の人々の言動を期待していたのである。初日こそ、小学校の教室が目に飛び込んできた際、教育現場におけるデジタル化の推進を目の当たりにし、IT先進国という一面が体現された空間に感激した。しかし10日間の滞在を経て、エストニアで訪れた場所の1つ1つが私の目にはただ単に日本とは異なる新鮮で発展している状況というようには映らなかったのである。学びのツールや方法以前に誰がどんな姿勢や態度で何を経験していても受け入れられる空間が常にあるということに気が付いたのだ。日ごろから彼らにとっては当たり前のように存在する空間を説明させることなど不可能であった。何が素晴らしくて特別なのものなのかということだけでは語れない空間は私が実際にエストニアの地で学びを経験して分かったのである。
その瞬間の学びを大切に
私のこれまでの経験を振り返れば学ぶ時は、その姿勢や態度、感想に正解があるような空間で常に同世代の他者といたことが思い出される。私がエストニアで目にしたのは庭園の階段で塗り絵をする子どもたちや、博物館を駆け回る子ども、子どものおもちゃで遊ぶ大人である。共通のルールや全員が気持ちよく過ごせる雰囲気がありながらも、誰でも好きなだけ自由に体験ができるというエストニアの空間がとても新鮮だった。私は正しい学び方やその結果にこだわるばかりで、その場でその時の年齢の自分がどう感じていたかは忘れてしまっているかもしれない。エストニアには説明や意味を詳細に理解しているかどうかだけではなくて、経験や体験そのものをその時に大切にする感覚があったのである。だからこそ、学びや体験のハードルが低く、いつ、どこであろうと学ぼうとすれば誰でも学べるのだと思う。
生涯学習とICT
改めて空間に縛られず人々の自然な表情や感想に出会うことのできる生涯学習の魅力を実感した。また、渡航前には生涯学習のためにICTが機能しているというとらえ方があったが、現地での学びの空間を知ったことで生涯学習がICT等の学びのツールをどのように生かしていくかを模索していくフィールドになっているということを発見した。
このような体験や発見は全て予想外であり、エストニアでの私の自由な学びは私が本当に知りたいと思っていたことを教えてくれたとともに驚きや感動だけにとどまらずその時に感じた違和感から納得まで言語化が難しい私だけの感覚を一瞬一瞬を大切に思い起こさせてくれるものとなった。このような帰国後に感じたことに加えて、今後様々な経験を通して、エストニアだからこそ見えたものに気づいていけると期待している。