コロナによる海外渡航の規制が徐々に解除され、漠然と海外に行きたいと思っていたところで出会ったのが今回のツアーだった。複数あるコースのうち「エストニア」を選んだのは、旅行では一生行かなそうだな、耳馴染みのない国って面白そうだなという安直な理由からである。事前講義では、ツアーのメイントピックである「サステナビリティとは?」という問いに始まり、少しずつエストニアでの生活や人々の持つ価値観に触れると同時に、一緒に渡航する仲間との仲を深めることが出来た。
現地に到着してからは、目や耳、口に入る全ての情報からエストニアを感じようと五感を研ぎ澄ませた日々を送ることとなった。ただ、そんなエストニアで私の印象に残っているのは、真の「沈黙」であることは不思議なことだ。深雪の中聞こえてくる自分が地面を踏みしめる足音や呼吸音、全く理解出来ない言語で会話する人々に囲まれる環境で聞こえてくる”音”としての声、独立記念日の翌日に見た沈黙のうちにエストニアとウクライナの国旗を掲げてデモ行進をする人々。どの記憶も無音ではなかったはずなのに、常に思い出されるのは発した音が雪に吸収された後のどこか虚しさすら感じるほどの沈黙なのである。
ロッヂへの移動前に皆でスノーダストに感動している様子。日常生活のあらゆる場が雪に囲まれている。
私にとって今回のツアーは、人生の転機となったといっても過言ではない。コロナを経て数年ぶりとなる海外渡航だったことや、かけがえのない仲間を得たことももちろんだが、それ以上にロシアとウクライナの軍事侵攻から1年の節目に、国境を接するエストニアに身を置いたことが何より最大の成果だったと感じている。日本にいる時は、報道を見ては平和を願うばかりで、”かわいそう”、”早く平和が訪れてほしい”という極めて他人事のような捉え方をしていた。しかし、エストニアとウクライナの絆や現地で友だちになったウクライナ人の留学生たちに触れて、自分は史実となる事件と時間を共有しているという感覚に襲われたのである。彼らが経験している事実がいずれどこかで教科書に載る史実へと変わり、自分も残念ながら思い出として懐かしさすら込めて語るようになるのだろうか。帰国してからテレビをつけると3.11に向けて組まれた特集が報じられており、12年を迎え風化しつつある震災の記憶に向き合う人々と自分の気持ちとが重なったように感じた。少しでも早く軍事侵攻が終わり、人々の暮らしに平穏が訪れることを願いつつ、私が経験し感じたことを少しでも長く記憶し続けていきたい。
タルトゥ市内を歩いている時に見つけた、ビルの壁を覆うエストニアとウクライナの国旗。遠くからでも見つけられるほど大きなフラッグだった。
最後に、今回のツアーを引率してくださった丸山先生と秋場さんにこの場を借りて心からお礼申し上げたい。3年ぶりの開催にあたり、様々な困難があったにもかかわらず常に学生である私たちが最高の経験が出来るようホストしてくださったこと、感謝してもしきれない。今後もこのツアーが残り続けることを心から願っている。